東京23区内にはいろいろな階段がありますが、「東京の階段」という本を見て、ひょっとすると
私の住む場所のすぐ近くにある亀塚公園の135段が東京一ではないかとの期待から、著者の松本泰生氏
のブログに問うたところ、世田谷区瀬田4丁目に130段以上の階段があるとのこと。
気になっていたので、6月7日(日)どちらが東京23区一の階段かを確認すべく世田谷区瀬田・岡本界隈
を散策してきました。
先日、ホタル鑑賞会に出かけ来ました。
夕闇の中に浮かび上がる幻想的な光を、子供の頃はよく見かけたような気がしますが、大人になってからはあまり見かけてないように思います。
それでも最近は、環境問題が注目を浴びる中、きれいな水や生い茂る草など、ホタルが生育していける環境を取り戻そうという運動も全国各地で聞かれるようになりました。
そんな中、出かけた鑑賞会。期待半分、諦め半分で川沿いを20分ほど歩いたでしょうか。1つ、2つと淡い点滅光が草むらから見え隠れしてきました。30分も歩くと数十頭はいるでしょうか、決して人工色では表せないような神秘的な空間を味わうことが出来ました。
ホタルは蝉と同じく成虫になってからの命は短く、7日から10日程だそうです。初夏の風物詩が終わる頃、蒸し暑い夏がやってきます。
松山本部 野上
京都でも梅雨の季節に突入しました。
ということで、雨にちなんだ話題をひとつ。
雨の日は大喧嘩が起きやすいのですが、それは何故でしょうか?
雨の日は水のパワーに満ちているので、その水気を打ち消そう
として、体内に火のパワーが生じます。
ですから、晴れている日より喧嘩が派手になってしまうの
だそうです。
だいたい映画やドラマでも別れ話は雨の日が多いですよね。
梅雨の季節はいつも以上に
心穏やかに過ごせるよう心掛ける必要がありそうです。
京都本部 今尾
この土曜日に久しぶりに映画を観に行ってきました。
韓国のみならず、日本でも大ヒットを記録した『猟奇的な彼女』『僕の彼女を紹介します』のクァク・ジェヨン監督が、日本を舞台に日本のキャストを主演に起用して作られた作品で、2ヶ月位前に予告を見てから、ずっと楽しみにしていました。これから見る方のために内容には触れませんが、過去の2作品同様、とてもよかったです。
科学はどんどん進歩していますが、数百年後にはタイムスリップできる乗り物が開発されているのでしょうか?みなさんならいつの時代に戻ってみて、どんなことを過去の自分に伝えたいですか?
京都本部 藤原
私は、今まで家事を一切したことがなかったのですが、
最近は料理をする機会がたまにあります。
料理っていっても、あるものを
ただ適当に炒めるだけなんですけど
味が濃すぎたり、失敗もあるのですが
自分でいうのも何ですが、結構おいしかったりして、
楽しんでやっております。
食べてくれた人が「おいしい」なんて
いってくれると、うれしくなって
次はこう工夫してみよう等と思います。
周りからは、いつまで続くかなんて言われてますが
今までは、出てきたものをただ食べる
これは美味しい、美味しくないなどと
いっていたのですが・・・
そこに至るには
まず、様々な食材が色々使用されており、
また、様々な調理する人の、手が加わっていたわけです。
考えてみれば、当たり前なのですが・・・
気付きませんでした。
東京本部 中根
先日もまた、農業体験をしてきました。
今回は玉ねぎの収穫。
この前雑草を抜きに行ったときはまだ小さかった玉ねぎたちが丸く太っていました。
あたたかくなったので、テントウムシやら蝶の幼虫やら、いろいろ出てきていました。
久しぶりに大きなミミズにもご対面しました。
種や苗を植えるのもいいのですが、収穫というのはまた楽しい作業でした。
まあ、今回も筋肉痛が数日続きましたが…
でも、楽しいと思えるのはその日だけ作業するからなのでしょうね。
農業をされている方はこれが毎日。頭が上がりません。
たまにしかお手伝いできませんが、また行きたいです。
松山本部 渡辺
東京本部のある港区は 昭和22年3月15日、旧赤坂区、旧麻布区、旧芝区の3区が合併され、
今の「港区」が誕生しました。
合併にあたっては「今後のわが国の発展は貿易の振興にあるが、その素材とも言える東京港を抱合している」ことから「東港区」が候補にあがりました。
その後、「東港区」では「東京都東港区」のように、類似する音が重なるので、「東」の一時を除いて「港区」とすることになりました。
また「芝」の地名は15世紀後半の文献に登場するほど古く、海苔そだの柴の説、守護職「斯波」に」ちなんだ説、芝草からの説、河口のデルタの地形を示す説などがあり、名の由来は明らかではありません。
地名は調べてみると面白いですね。
東京本部 本多
今から100年前の1908年、ブラジルに向けて、正式な移民としては初めての移民船『笠戸丸』が神戸港を出発致しました。
1888年にブラジルが奴隷制度を廃止し、コーヒー農園等での労働力不足を補う為に、海外からの移民を積極的に受け入れている中、アメリカへの移民を締め出されていた日本の商社との思惑が一致し、移民がスタート致しました。
「夢と希望を求めて新天地へ」と言えば聞こえはいいですが、第1回移民の791名のうち自由移民は10名程度で、残りは沖縄出身が大半を占める契約移民だったということです。現地ではその大半がジャングルでの生活であり、厳しい生活環境でありました。
そもそも「奴隷並みの環境」と呼ばれ、ヨーロッパ諸国がブラジルへの移民を停止したことが、日系移民を受け入れるきっかけになったとも言われています。最近、その笠戸丸にのってやってきた移民の6世の男の子が話題にもなっておりましたが、現在では約150万人の日系ブラジル人がいるそうです。
京都本部 太田芳樹
まだ過ごしやすい時期ですが、後3週間も過ぎれば梅雨の季節がやってきます。
梅雨の時期はどうしても嫌なイメージが強いものです。けれども、京都では梅雨の時期しか見れない紫陽花を楽しめるお寺が多くあります。
宇治の三室戸寺では約3千株の紫陽花がみどころで夜間はライトアップもされます。また、大原の三千院では6月15日頃からあじさい祭が行われます。
紫陽花は、土の状態によって花の色が様々に変化します。酸性の土だと青系の花が咲き、アルカリ性の土だと赤系の色になるそうです。
是非、夏を迎える前に、歴史を感じさせるお寺で紫陽花を見て季節感を感じるのもこれからの楽しみだと思います。
三室戸寺
http://www.mimurotoji.com/
三千院
http://www.sanzenin.or.jp/top.html
京都本部 梅林
足立重信(あだちしげのぶ)の墓
(昭和26年11月27日県指定史跡に指定)
ロシア人墓地とは直線にして数十メートルの距離にある「来迎寺」に、足立重信の墓所がある。
川がある。
重信川といい、河原がひろく、(中略)
其源は、砥部十六谷の水流出で、水無月の頃も涸る事なし。尤も大河なり。
と、『愛媛面影』に簡潔で要を得た文章が出ている。豊臣時代までは、伊予第一の川ということで、伊 予川とよばれていた。重信というのは、改修者の名である。日本の河川で人名がついているのは、こ の川だけではないか。
(「街道をゆく」14・南伊予・西土佐の道 司馬遼太郎著)
愛媛県の県庁所在地・松山市を流れる1級河川・重信川。
この川は昔、伊予川と呼ばれ、毎年雨の時期には堤防がない両岸から洪水があふれ、流域一帯の田畑や家屋が押し流され、暴れ川として恐れられていた。それが、重信川と呼ばれるようになった背景には、1人の普請奉行の偉業がある。足立重信である。
重信は現地調査の結果、約8キロにわたって流路を改め、堤防を築くという大工事を施工した。
足立重信(~1625)は、松山城主加藤嘉明の家老である。美濃国(現岐阜県)に生まれ、年少の頃から加藤嘉明に仕え、嘉明がその功労によって正木(現愛媛県伊予郡松前町)城主6万石に封ぜられると、重信も伊予国に来住した。慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦後、20万石の大名となった嘉明は、勝山へ移転城築して、城下町を松山と改めた。重信は普請奉行の要職に就き、特に土木治水事業に精通し、伊予川及び石手川の改修などを指揮した。また、開墾の奨励や年貢率の設定なども手がけ、松山藩初期の財政基盤の整備、充実に手腕を発揮した。重信は、松山城の築城、城下町の建設に20数年間尽力したが、その完成をみないで寛永2(1625)年に逝去した。本人の遺言によって、松山城を望見できる城北の来迎寺境内に墳墓がつくられたという。
四国最大の都市である松山市は、夏目漱石の「坊ちゃん」の舞台として、また、3000年の歴史を誇る日本最古の温泉「道後温泉」の町としても有名ですが、その松山市繁栄の基礎を築いたのが「足立重信」です。
重信川流域の小学校では、総合学習の時間に彼の偉業を学ぶ時間を設け現在の生活の基盤をつくってくれた先人に感謝し、その熱い思いを未来に伝えていく大切な授業が今日も行われています。
(松山市・愛媛県のHPより)
松山本部 村上