優和スタッフブログ

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タイムカプセル

 今から20年前、私たちは、地元の小学校の100周年記念行事として、タイムカプセルを埋めました。記憶というのは曖昧で、当時4年生だった私は、何を埋めたのか殆ど覚えていません。作文を入れたのか?はたまた自分に宛てたメッセージを入れたのか?
 昨日、4月29日午前10時が「開封日」でした。 私は実家に住んでいたため、ある程度の情報は入手していましたが、地元を離れ県外に住んでいる人や途中で引越をした人も参加しており、私のクラスメイトは半分くらいの人が参加していたように思います。意外と変わっていない姿に、20年という月日が一気に縮まりました。
 私がタイムカプセルに入れた物は「20年後の私」という作文でした。きれいな状態で保管されていたため、各々が自分の入れた物を持ち帰りました。その作文の内容は…当時の純粋な気持ちが我ながら懐かしく思います。
松山本部 松浦


還暦祝い

もうすぐGWです。計画を立てながら、楽しみにされている方も多いと思います。
私のGWは実家に帰って、父親の還暦祝いを家族で行う予定にしています。
気がつけば、父親もそんな年齢になったかと思いながら、プレゼント選びを楽しんでいました。
振り返ると、父親は毎日働きっぱなしの人生だった様に感じます。
父親の唯一の趣味が温泉に行くことなので、還暦祝いも温泉に行って食事をする予定です。
まるで私一人で計画した様に書きましたが、発案から予約まで母親と嫁が率先してやってくれました。父親へは勿論のこと、家族のみんなに感謝です。
今年の秋には弟の結婚が控えているので、そのときは私が率先して計画したいと思います。
京都本部 大林 勲生


「松山」について

私が松山を訪れたのは過去に二度、大学4年の時と平成4年頃フリーターをしていた時。
一度目は広島大学の調査船でサンプリングの帰りに松山港へ入港し、その日は確か停泊したような記憶があります。
二度目は道後温泉に泊まるつもりが愛媛大学の受験日と重なって宿がとれず、予定を前倒しして香川の多度津まで足を進めました。ですので実際には松山の地の印象は殆どありません。
そんな私が何故、松山についてなどと題して書いているかと言いますと、私の姓「ふたがみ」の由来地が松山の沖に浮かぶ「二神島」だからです。
二神島
http://imagic.qee.jp/sima3/ehime/futagamijima.html
地名を名乗るのはよくある事で、二神姓も南北朝期にこの島を本拠とした地方豪族が名乗った事が始まりだそうです。
最も直接の先祖がこの島の出身であったかどうかは定かではありませんが。
我が祖の動向は次のリンク先をご参照下さい。
二神のホームページ
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/futagami/index.htm
京都では珍しい姓ですが、一度目の松山入りの際、電話帳をみてその数の多さに感動したものです。
また二度目の松山入りはこの島に行く事が本来の目的でした。
が、何せ行き当たりばったりの旅でしたのでフェリーの時間がうまく合わず、また前述の宿の問題もあり、果たせませんでした。
いずれ再トライしてみようとは思っております。
と言う事で、松山本部の皆様、よろしくお願いいたします。
京都本部
二神 幸彦


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