優和スタッフブログ

東京マラソン体験記

東京マラソン2014に参加しました。以下、少々長いですが報告です。
昨年の秋、メールで当選の連絡があったとき、嬉しさと困ったなという思いが入り混じった、正直複雑な気分。
練習しなくちゃなと思いつつ、寒さに負け、その後年内見事1Kも走らず。
時は立ち、年明けから練習と思いきや、1月は25K、2月はハーフマラソンに出ただけの練習で臨む。


一生に一回かもしれないから贅沢だけどなどと言い訳しつつ前日は新宿に宿泊することに。コンビニでパスタとパンとおにぎりを併せて4人前分位買いこみ、腹にぶち込み、一夜漬けのカーボローディング。
翌朝も、パンとおにぎりとイチゴ大福を、腹にぶち込み、筋肉痛予防のクリームを塗り、テーピングをしているうちに時間がせまる。軽くストレッチし、妻に荷物を託しあわてて、スタートブロックへ急ぐ。
ある友人から「これがあれば完走できるよ」とGPS付のランニングウォッチを頂き、他の友人からは「1K走ったら1分歩く、最初の1Kから絶対やること、恥ずかしがらずにね」のアドバイスをもらい、また他の友人にはハーフマラソンに付き合ってもらい、こんなに支援してもらっているのに銀座三越前あたりでリタイヤすれば帰りが楽だななどといけない考えをめぐらせながらスタートを迎える。
ほとんど一番遅いブロックからのスタートだったからか、周りは、仲間やカップルで参加したと思われる中国人や台湾人が多く、ここは本当に日本かと思うくらい。さすが東京マラソン。
スタート後、最初の1K目から1KRUN1分WALK作戦開始。歌舞伎町入口を過ぎた位が最初の1K、まだまだ混んでいて歩くのが危険な状態。なるべく端っこをと雪がまだ残っている沿道を歩く。
このペースで15K位まで順調そのもの。品川から戻ってきたら、三田の東京本部の見えるところで写真を一枚とろうなどと余裕の心持ち。
ところが、やはりというか品川を折り返してからややきつくなり、三田を通過したころは写真のことは忘れてしまう始末。
苦しいながらも沿道の応援が一番多い銀座もなんとか過ぎ、芸能人の方たちを追い抜きながら、日本橋を過ぎ、1KRUN1KWALK作戦継続。
これはゴールまでたどり着けそう、あわよくば6時間以内もいけるかもなどど、根拠のない自信が芽生え、戻りの銀座三越付近で待機していてと伝えてあった妻に有明に向かってくれと連絡。30Kからがマラソンだと頭でわかっていたつもりだが、やはり甘かった。
浅草雷門前を過ぎ、日本橋へ向かう道がいくらか登っているんだなあなどど思ったころから、怒涛の苦しみが始まる。1KRUNの苦しいこと苦しいこと。1Kのなんと長いこと。妻を有明に向かわせたことを後悔しつつも、時間はなんとかなりそうだったので、33K付近で作戦継続はあきらめ、完全WALKへ。
自分の周りも歩く人が多数、ただ自分の歩くペースがどうにもあがらず、徒歩競争でどんどん抜かれる。あとからタイムを見ると、追い抜いたはずの芸能人の方にもこの頃抜かされていたようで。
作戦を伝授してくれた勝どきに住む友人が、LINEで勝どきで待ってると連絡があったものの、お互いに見つけられず、今度は豊洲の交差点で待っているとのことだったが、またお互いに見つけられず空振り。彼が今度はゴールで待っていてくれるというので、完全にリタイヤは不可能に。妻も待ってるしね。
LINEでメールを打ちながら、歩いているわけです。全く情けない。残り10Kがまた長く長くて、歩いているだけですのまた寒くて。風邪ひくわけにはいかないので、こりゃ有明までとにかくなるべく速く歩くしかないと腹を括りました。
16時10分でゴール締切のところ、なんとかグロスで10分しか余裕がない16時頃ゴール。妻が待っていてくれ、声をかけてくれました。すぐに近くに行けると思ったため、手を振った位でとにかくゴール。感動というよりやっと終わったという開放感。7時間弱ですね。
ところがここからがまた長かった。飲物やバナナ、みかんなどをいただきながら、決められた順路通りに歩くも妻と友人になかなか会えず。LINEで3人が同じ場所に集合することとして、そこまでがまた長い。足が痛くてこの時が一番きつかったかな。
3人やっと無事会え、お礼を言って、着替えて、タクシーで帰り、勝どきで友人とは別れ、上野からボロ雑巾のような状態で、電車で眠りこけ帰ってまいりました。
目標は、第一に体のダメージをなるべく少なくして翌日から普通に仕事をすること、第二に完走だったので、なんとか達成とします。
妻と友人たちに大感謝です。ありがとうございました。来年は、多分申し込みません。やはり、2月23日はよくないです・・・。前の週の京都マラソンに申し込んでみようかな。
埼玉本部 飯野浩一


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